2007年 03月 14日
鞆の陶片について考える 福山市の鞆(とも)の浦は瀬戸内海の良港として、万葉集の時代から知られ、江戸時代には北前船の寄港地として栄え、朝鮮通信使や琉球使節も訪れたそうで、現在でも江戸時代の港湾施設や町並みが残っています。そしてここには、びっしりと陶片の詰まった干潟があります。陶片の質、量ともに、広島では最大級の陶片海岸です。→地図 ◆◇◆<目次>◆◇◆ 陶片の拾える場所 1.雁木下の陶片 2.焚場の干潟東側の陶片 鞆の陶片の特徴 1.時代の古さ 2.種類の多さ 3.鞆の産業に関わる陶片 4.陶片の量の多さ 5.保存状態の悪さ なぜ鞆に大量の陶片があるのか 終わりに 陶片窟本館(ブログ版TOUHEN-KUTSU) #
by touhen04
| 2007-03-14 08:04
| 鞆の陶片について考える
2007年 03月 14日
陶片の拾える場所 その1 鞆の陶片はおもに二つの場所から出ます。一つは常夜燈や「いろは丸展示館」の近くの雁木の下。もう一つは焚場遺構のある干潟の東側です。(ここでは以下、焚場の干潟東側と呼びます) 雁木下の陶片 雁木(がんぎ)とは荷揚げなどに便利なように作られた船着場の階段のような部分です。干潮時「いろは丸展示館」周辺の雁木の下に現れる狭い干潟からは、少なくとも江戸時代~昭和に至る、いろいろな時代の陶片、沈子(漁具)、ガラス製品を拾っています。ただし、ここは訪れた日の潮がよほど良い時でないと水に浸かっています。そんな時はゴム長靴で入っても、水が濁っているため探すことができません。その条件と場所の狭さ、また焚場の干潟東側に埋立計画があり、そちらを優先して歩いたため、ここから拾った陶片は多くありませんが、もし水面下のものも拾えるなら、割れた茶碗や皿の佃煮ができるほどあるかもしれません。 雁木下の干潟で拾った陶片一つ一つの写真と説明はこちらです。→「鞆・雁木下の陶片」 #
by touhen04
| 2007-03-14 07:04
| 鞆の陶片について考える
2007年 03月 14日
陶片の拾える場所 その2 焚場の干潟東側の陶片 昔、木造船の時代には、船底を焼いてフナクイムシの害を防いでいました。それが焚場です。船の修理もしていたそうです。江戸時代の焚場遺構が残っている干潟の東側、ちょうど焚場遺構と反対側の100mくらいが素晴らしい陶片海岸で、たくさんの陶片が散乱しています。 焚場の干潟東側で拾った陶片一つ一つの写真と説明はここです。→「鞆・埋立予定地の陶片図鑑」 #
by touhen04
| 2007-03-14 06:37
| 鞆の陶片について考える
2007年 03月 13日
鞆の陶片の特徴 その1 雁木下は狭い港湾施設内ですし、焚場干潟東側は生活排水が流れ込み、どちらも驚くほど汚い場所です。打ち寄せる波は汚れた服を洗った後の水のように濁り、泥はべたついて、夏など潮のかおりよりもドブの臭いの方が強いくらいです。しかし、ここから、主に江戸時代以降の食器や生活用品など、様々な陶製品が出てきます。私は去年、2006年6月から2007年2月現在まで9回訪れ、系740個前後の陶片を拾いlました。※1 この陶片は広島の他の海岸に比べて幾つかの特徴がありました。 時代の古さ 特に焚場の干潟東側からは、かなり古いものが出ました。12~14世紀頃の中国青磁、中国陶磁では?と思えるもの、17世紀の肥前の青磁、染付、17世紀の肥前系陶器などが見つかりました。※2 広島の海岸や川を歩くと、多くの場所で江戸時代の陶片に出会います。しかし、そのほとんどは18世紀半ば~幕末頃のものです。その頃に磁器、半磁器の食器が庶民の生活に普及したからだそうです。18世紀半ばに見えない線でも引いてあるかのように、これより古い時代のものは拾いにくいのです。今まで宮島からはたくさん出ていますが、それ以外では、古い港として栄えた呉市倉橋町鹿老渡(かろうと)、広島市の八幡川河口付近で少し拾っているくらいです。 ところが鞆では、特に焚場の干潟東側では、それらの古いものが僅かの間に幾つも出ました。中国陶磁や17世紀の青磁の大皿などは宮島でも、一年間でそうそうたくさん拾えるわけではありません。これら特に古いものだけを見る限り、鞆は宮島に近いものが出る場所です。ただし、宮島から山ほど出る土器の類いは、鞆ではあまり見ませんでした。私には時代のよく判らないものが、ほんの少し出ている程度です。 ※1 2009年1月現在、拾った陶片はずいぶん増えています。 ※2 このブログの記事を書いた時点とはリンク先の記事が変わっていますので、2007年3月以降に拾った陶片の写真も混じっています。 #
by touhen04
| 2007-03-13 10:37
| 鞆の陶片について考える
2007年 03月 13日
鞆の陶片の特徴 その2 種類の多さ 特に焚場の干潟東側からは、主に江戸中期~昭和戦前くらいの、ありとあらゆる食器、生活用品、地場産業に関するもの、建築材料などが出てきます。江戸時代のものでは、生活必需品としての飯茶碗や小皿だけでなく、遊び心に満ちたお洒落な小皿や、化粧品などを入れた蓋物容器、幕末の大皿の破片も拾っています。灯明具やすり鉢、陶製のおろし金、鞆の子ども達が遊んだであろう玩具もあります。陶器ではありませんが、ガラス製石蹴りも大量に見つかります。旧家を取り壊した時に出たのでしょう、豪華な染付の便器もありました。美しいタイルもよく出てきます。ここは鞆の人々の生活の記録が丸ごと眠る、まるで歴史民俗資料館のような場所です。 #
by touhen04
| 2007-03-13 10:19
| 鞆の陶片について考える
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